柳野隆生 > PATENT THINKING > No.001
No.001 はじめにあたって
私が1998年に「超パテント戦略」の第1版を出版してから既に10年が経過した。
この数年前、社会では大学間の通信を含めたCALSが出始め、さらに1994,5年はコンピュータの普及化とあいまって、インターネット社会の揺籃期に入る。 ネットなくしてのビジネスが考えられない現状を、その当時は実感をもてなかったように思う。 この著作の中で表した考えのベースとなるのは、一般的知的財産や特許権(パテント)、実用新案権、意匠権、 商標権を中心とする知的財産権についてのフィロソフィーである。私は知的財産や知的財産権の開発、 取得さらには係争に絡む裁判、並びにこれをベースとした経営へのかかわりを通して、知的財産・知的財産権に対する基本的考えを発展させ、 企業経営の視点からこれらを見るにいたった。とりわけ知的財産をどのように開発し、経営の中にどのように取り込み、 どのように活かして企業価値に結びつけるかということを考え、それをまとめたのが「超パテント戦略」であった。
従って「超パテント戦略」と題した本著で筆者が試みたことは、パテントで代表される知的財産を通じて得た考え方に企業経営の視点を取り入れ、 一つの経営哲学にまで発展させようとしたことである。この意味で、「超パテント戦略」には、法的権利であるパテントを超えた、 さらにより高度の経営上のパテントをもつべきだ、という考えを持たせている。
たとえばコンテンツ系でいうならば、その技術力を向上させ中身を充実してレベルアップを図るとともに、 そのコンテンツを展開する企業力を構成する種々のレベルの高い知的財産や知的資産を幅広く準備し、 それらを事業運営に展開するべきだというのである。あるいは現場で直面する諸問題に対する発明的解決を蓄積し、帰納的に一般法則として昇華せしめ、 知的財産や知的資産として社内に蓄積すべきであることを提唱した。
このようなパテントを出発点とし、それを超えたところに知財重視型経営手法を求めようとする「超パテント戦略」 の基本的考え方は10年たった現在の経営にも通用すると考えているし、さらに将来の企業とりわけアジアの中で残存していくための 日本企業の生命線となるコアを構成するもの考えられるのだ。
生命の歴史を振り返ると、太古の時代に海から地表に上り、やがて人類が進化しその開発した「智」が地表から空中へ、 さらに宇宙へと活動範囲を広げることを可能にした。私たちは地球という青い惑星上での生活や活動を宇宙にも広げようとしている。 次の世代ではこの宇宙での活動を通じて得た一つの新たな人為的創造活動の成果が地球上にフィードバックされることになるのは疑いのないところだろう。
歴史は、人間を人間たらしめる「知恵の創造と活用」を通じた知的存在としての生き方を人類に求めてきた。その英知はおのずと低レベルのものから、 より高いものへ進化してきた。「智」を武器として、地球上の小生物としての不利な条件を克服しながら、 優勝劣敗の原則が支配する厳しい歴史を通して、「智」の重要性を証明してきたのである。 「智」の競争ではわずかに頭一つ抜き出たものが生き残ってきたのは歴史が示すとおりである。この過酷な競争原理はおそらく今後も不変だろう。
話を特許にもどそう。世界初の特許法は1474年にイタリアのヴェネチア共和国で制定された。 これに遅れること約400年、我国では、1884年に商標条例が、そして1885年に専売特許条例がそれぞれ制定された。 特許法の目的に「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」と明記されている。 この制度は殖産政策の一端を担うものであると同時に、知的存在としての人間の知的活動の根源をくすぐる、 いわば火に注ぐ油のような助燃剤として制定されたものと私は考える。人類はその知的活動において常により高度のもの、 より優れたものを追求し続け、それを開拓・開発・創造し、広く展開することによって人類の平和と繁栄そして幸福をもたらしてきた。 だが他方で争いや戦いの手段となって人類へ不幸をもたらすものともなった。「智」は諸刃の剣であり、 物質的な面を重視しすぎた結果として物質万能時代あるいは経済万能時代となったことの弊害は否定しきれない。
発明などの知的創造活動のレベルをあげることを狙いとして、パテントつまり特許権が認められるために特許要件という一定の基準が設定されている。 どんな発明でも特許に成るわけではなく、この要件を満足させる発明のみに対して独占権という権益を付与し、市場利益を約束するのである。 これは人々の探究心をそそるインセンティブとなって、人類英知の発展に寄与したわけである。
しかし、技術偏重の陥穽があることを警告したい。特許要件として明記されている「進歩性、新規性、産業上の有用性」を クリアした高度な技術的成果物だけが人類に平和をもたらすわけではない。先進的技術を取り巻く種々の状況を、 たとえばビジネスの世界に限って近視眼的に見るならば、技術が進歩的であればあるほど、市場から乖離するというのはよくあることだ。 特許技術を市場に出すには、多くの場合、生産技術、商品化企画、デリバリー・システム、マーケティング、販売戦略、 等々における高度な英知の結集が不可欠である。技術を製品として市場に出す仕組み、経営要素が求められるわけである。 特許流通市場がいまひとつ活気に欠けるのは、特許技術を活かすノウハウ不足に問題があると私は考える。つまり技術ばかりでなく、 人事、財務、総務、労務、生産さらには営業などを含み、すべての企業活動そして人間活動において高いレベルの英知が、 つまりウィズダムが求められるのである。これは単なるナレッジやインフォメーションあるいはデータではなく、 それらを素材としてそこにあるレベル以上の知的活動、創造的活動が加わった「智」である。
法的制度におけるパテントは主として技術を対象とし、特許要件に照らしてその内容を審査し、要件をクリアしたもののみに対して権益を付与することは既に述べた。 この考え方を企業や人々の文化活動や社会活動あるいは経済活動などにまで押し広げることを私は「超パテント戦略」で提唱している。 つまり企業経営を構成する各要素を対象に、それらを特許技術に相当するほどにレベルを上げるべく、 改善・改良・発明・発見に取り組むべきだということである。技術分野のみならず広範囲な知的創造活動への大いなる刺激となり、 このような英知を入手することによって、近視眼的には次の時代に向けての企業の発展や生き残りが可能となるだろう。 また、マクロ的、長期視点からは、こうした知的生産物の世界への貢献は測り知れないものがあると思うのである。
「超パテント戦略の」第1版を出したのが1998年。振り返れば90年代は、高度成長を謳歌した80年代の振り戻しの時代であろうか、 85年のプラザ合意によって我国の一人勝ちは抑えられ、以後右肩上がりの成長神話は消えた。バブル経済崩壊に続く失われた10年で、 産業界は厳しい時代を迎えた。相次ぐ規制緩和が金融業界に及び、いわゆる金融ビッグバンの衝撃で、廃業や合併など業界の再編が始まったのも90年代である。 そして、ITの登場がビジネスの手法を大きく変え、加えてウィンドウズ95の出現によってインターネットが本格化した。第2の産業革命とまでいわれるように、 ITを利用した新たなビジネスモデルが次々に出現して、戦後の高度成長を後押ししてきた経営システムや産業構造までが大きな変化と後退を余儀なくされたし、 またグローバリゼーションの名の下に、我国の経営システムが随所でほころび始めたのも事実である。
サイバースペースの出現とともにネット上での新たなビジネスモデルがうまれ、一方リアルの世界では中国や東欧諸国が、 安価な労働コストを武器に市場経済へ参入が始まった。コスト削減を狙って各企業は先を争うように製造拠点を海外、特に中国や東欧に移転させた。 国家間の技術力格差の縮小化、製品のコモディティ化のスピードアップと価格破壊、経済のサービス化の進展、ハードからソフトへの流れ、 等々、まさにグローバルな激変を乗りきり、淘汰をかいくぐってきたのは高度な「知」を保有する企業だった。「知」による市場争奪戦が、 武器を携えての植民地争奪戦にとって代わった。世紀末は知本主義時代の幕開けといえるだろう。
大きな時代の変革期に、企業が時代に押し流されることなく存続するための合法的武器として「パテント」に象徴される知的財産権ならびに 企業内の知的財産権に光をあて、「超パテント戦略」の中でその重要性を説いた。知的財産権はこれまでほとんどの場合、防衛的な視点から 取得されていたのだが、これの財産的な側面に着目し経営戦略の目線から見直すべきである。同時に企業の知的財産や知的資産を利益の源泉と位置づけ、 それの改善、開発さらには発明を奨励した。「失われた10年」でデフレ経済が進行し土地神話が崩れる中で、次の利益源泉として知的資産が 注目されたのも時代の流れであった。
特許法の世界で発明の対象となるのは自然法則を活かした技術だが、本著ではそれを経営の諸要素にまで広げ、ヘキサゴン経営という考えを打ち出した。 ヘキサゴンつまり経営の六要素を、1、人材、2、ネットワーク、3、知的財産と知的財産権、4、モノポリー・モノ、5、経営システム、6、財務力とし、 これらそれぞれに独創性を加え価値を高めることで、全体としての企業価値を向上させるべきことを強調した。
第1版より6年後の2004年に出した第2版のまえがきでは、企業倒産は件数においても負債総額においても未曾有の数字となって不況の深刻さが 伝えられた90年代、こうした企業淘汰の結果が、いわゆる勝ち組、負け組といわれるようになったこと、そして両者の二分を決定付けたのは知的財産 の有無だろうということを主張した。「知」の付加されないコモディティ化した商品は価格競争に巻き込まれ、あるいはシェアを奪われて市場からの退場となる。 一方、高度な「知」あるいは権利保護された「知」は企業に一人勝ちということも可能にする。
2002年には知的財産戦略大綱が発表され、さらに2004年には知的財産基本法が施行された。着実に競争力をつけてきた近隣諸国にたいし、 相対的国際競争力の低下が危惧される状況下で、最後の切り札が「知」だったのである。他の資源と違って、知は無尽蔵である。知的財産の重要性が 改めて認識され、知財立国が基本方針となったわけである。
以上の「超パテント戦略」における考えをベースに、これをさらに発展させ、とりわけ企業や社会のアセットのインタンジブルな面(知的資産−無形資産) に光をあてて、インベンションやパテントを含む知的財産、知的財産権といった無形資産を対象とした、開発、ハンドリング、 展開等の仕方を通じて得た私なりの考えやパテントの根底にあるフィロソフィから敷衍したパテント・シンキングあるいはインベンション・シンキングの実践を通して、 新しいイノベーションを行うことが人類の発展や平和・幸福に役立つのではないかとの考えを個人の生活や企業活動の種々の面に渡って、 柳野流パテント・シンキングを展開していきたいと思う。
私が1998年に「超パテント戦略」の第1版を出版してから既に10年が経過した。
この数年前、社会では大学間の通信を含めたCALSが出始め、さらに1994,5年はコンピュータの普及化とあいまって、インターネット社会の揺籃期に入る。 ネットなくしてのビジネスが考えられない現状を、その当時は実感をもてなかったように思う。 この著作の中で表した考えのベースとなるのは、一般的知的財産や特許権(パテント)、実用新案権、意匠権、 商標権を中心とする知的財産権についてのフィロソフィーである。私は知的財産や知的財産権の開発、 取得さらには係争に絡む裁判、並びにこれをベースとした経営へのかかわりを通して、知的財産・知的財産権に対する基本的考えを発展させ、 企業経営の視点からこれらを見るにいたった。とりわけ知的財産をどのように開発し、経営の中にどのように取り込み、 どのように活かして企業価値に結びつけるかということを考え、それをまとめたのが「超パテント戦略」であった。
従って「超パテント戦略」と題した本著で筆者が試みたことは、パテントで代表される知的財産を通じて得た考え方に企業経営の視点を取り入れ、 一つの経営哲学にまで発展させようとしたことである。この意味で、「超パテント戦略」には、法的権利であるパテントを超えた、 さらにより高度の経営上のパテントをもつべきだ、という考えを持たせている。
たとえばコンテンツ系でいうならば、その技術力を向上させ中身を充実してレベルアップを図るとともに、 そのコンテンツを展開する企業力を構成する種々のレベルの高い知的財産や知的資産を幅広く準備し、 それらを事業運営に展開するべきだというのである。あるいは現場で直面する諸問題に対する発明的解決を蓄積し、帰納的に一般法則として昇華せしめ、 知的財産や知的資産として社内に蓄積すべきであることを提唱した。
このようなパテントを出発点とし、それを超えたところに知財重視型経営手法を求めようとする「超パテント戦略」 の基本的考え方は10年たった現在の経営にも通用すると考えているし、さらに将来の企業とりわけアジアの中で残存していくための 日本企業の生命線となるコアを構成するもの考えられるのだ。
生命の歴史を振り返ると、太古の時代に海から地表に上り、やがて人類が進化しその開発した「智」が地表から空中へ、 さらに宇宙へと活動範囲を広げることを可能にした。私たちは地球という青い惑星上での生活や活動を宇宙にも広げようとしている。 次の世代ではこの宇宙での活動を通じて得た一つの新たな人為的創造活動の成果が地球上にフィードバックされることになるのは疑いのないところだろう。
歴史は、人間を人間たらしめる「知恵の創造と活用」を通じた知的存在としての生き方を人類に求めてきた。その英知はおのずと低レベルのものから、 より高いものへ進化してきた。「智」を武器として、地球上の小生物としての不利な条件を克服しながら、 優勝劣敗の原則が支配する厳しい歴史を通して、「智」の重要性を証明してきたのである。 「智」の競争ではわずかに頭一つ抜き出たものが生き残ってきたのは歴史が示すとおりである。この過酷な競争原理はおそらく今後も不変だろう。
話を特許にもどそう。世界初の特許法は1474年にイタリアのヴェネチア共和国で制定された。 これに遅れること約400年、我国では、1884年に商標条例が、そして1885年に専売特許条例がそれぞれ制定された。 特許法の目的に「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」と明記されている。 この制度は殖産政策の一端を担うものであると同時に、知的存在としての人間の知的活動の根源をくすぐる、 いわば火に注ぐ油のような助燃剤として制定されたものと私は考える。人類はその知的活動において常により高度のもの、 より優れたものを追求し続け、それを開拓・開発・創造し、広く展開することによって人類の平和と繁栄そして幸福をもたらしてきた。 だが他方で争いや戦いの手段となって人類へ不幸をもたらすものともなった。「智」は諸刃の剣であり、 物質的な面を重視しすぎた結果として物質万能時代あるいは経済万能時代となったことの弊害は否定しきれない。
発明などの知的創造活動のレベルをあげることを狙いとして、パテントつまり特許権が認められるために特許要件という一定の基準が設定されている。 どんな発明でも特許に成るわけではなく、この要件を満足させる発明のみに対して独占権という権益を付与し、市場利益を約束するのである。 これは人々の探究心をそそるインセンティブとなって、人類英知の発展に寄与したわけである。
しかし、技術偏重の陥穽があることを警告したい。特許要件として明記されている「進歩性、新規性、産業上の有用性」を クリアした高度な技術的成果物だけが人類に平和をもたらすわけではない。先進的技術を取り巻く種々の状況を、 たとえばビジネスの世界に限って近視眼的に見るならば、技術が進歩的であればあるほど、市場から乖離するというのはよくあることだ。 特許技術を市場に出すには、多くの場合、生産技術、商品化企画、デリバリー・システム、マーケティング、販売戦略、 等々における高度な英知の結集が不可欠である。技術を製品として市場に出す仕組み、経営要素が求められるわけである。 特許流通市場がいまひとつ活気に欠けるのは、特許技術を活かすノウハウ不足に問題があると私は考える。つまり技術ばかりでなく、 人事、財務、総務、労務、生産さらには営業などを含み、すべての企業活動そして人間活動において高いレベルの英知が、 つまりウィズダムが求められるのである。これは単なるナレッジやインフォメーションあるいはデータではなく、 それらを素材としてそこにあるレベル以上の知的活動、創造的活動が加わった「智」である。
法的制度におけるパテントは主として技術を対象とし、特許要件に照らしてその内容を審査し、要件をクリアしたもののみに対して権益を付与することは既に述べた。 この考え方を企業や人々の文化活動や社会活動あるいは経済活動などにまで押し広げることを私は「超パテント戦略」で提唱している。 つまり企業経営を構成する各要素を対象に、それらを特許技術に相当するほどにレベルを上げるべく、 改善・改良・発明・発見に取り組むべきだということである。技術分野のみならず広範囲な知的創造活動への大いなる刺激となり、 このような英知を入手することによって、近視眼的には次の時代に向けての企業の発展や生き残りが可能となるだろう。 また、マクロ的、長期視点からは、こうした知的生産物の世界への貢献は測り知れないものがあると思うのである。
「超パテント戦略の」第1版を出したのが1998年。振り返れば90年代は、高度成長を謳歌した80年代の振り戻しの時代であろうか、 85年のプラザ合意によって我国の一人勝ちは抑えられ、以後右肩上がりの成長神話は消えた。バブル経済崩壊に続く失われた10年で、 産業界は厳しい時代を迎えた。相次ぐ規制緩和が金融業界に及び、いわゆる金融ビッグバンの衝撃で、廃業や合併など業界の再編が始まったのも90年代である。 そして、ITの登場がビジネスの手法を大きく変え、加えてウィンドウズ95の出現によってインターネットが本格化した。第2の産業革命とまでいわれるように、 ITを利用した新たなビジネスモデルが次々に出現して、戦後の高度成長を後押ししてきた経営システムや産業構造までが大きな変化と後退を余儀なくされたし、 またグローバリゼーションの名の下に、我国の経営システムが随所でほころび始めたのも事実である。
サイバースペースの出現とともにネット上での新たなビジネスモデルがうまれ、一方リアルの世界では中国や東欧諸国が、 安価な労働コストを武器に市場経済へ参入が始まった。コスト削減を狙って各企業は先を争うように製造拠点を海外、特に中国や東欧に移転させた。 国家間の技術力格差の縮小化、製品のコモディティ化のスピードアップと価格破壊、経済のサービス化の進展、ハードからソフトへの流れ、 等々、まさにグローバルな激変を乗りきり、淘汰をかいくぐってきたのは高度な「知」を保有する企業だった。「知」による市場争奪戦が、 武器を携えての植民地争奪戦にとって代わった。世紀末は知本主義時代の幕開けといえるだろう。
大きな時代の変革期に、企業が時代に押し流されることなく存続するための合法的武器として「パテント」に象徴される知的財産権ならびに 企業内の知的財産権に光をあて、「超パテント戦略」の中でその重要性を説いた。知的財産権はこれまでほとんどの場合、防衛的な視点から 取得されていたのだが、これの財産的な側面に着目し経営戦略の目線から見直すべきである。同時に企業の知的財産や知的資産を利益の源泉と位置づけ、 それの改善、開発さらには発明を奨励した。「失われた10年」でデフレ経済が進行し土地神話が崩れる中で、次の利益源泉として知的資産が 注目されたのも時代の流れであった。
特許法の世界で発明の対象となるのは自然法則を活かした技術だが、本著ではそれを経営の諸要素にまで広げ、ヘキサゴン経営という考えを打ち出した。 ヘキサゴンつまり経営の六要素を、1、人材、2、ネットワーク、3、知的財産と知的財産権、4、モノポリー・モノ、5、経営システム、6、財務力とし、 これらそれぞれに独創性を加え価値を高めることで、全体としての企業価値を向上させるべきことを強調した。
第1版より6年後の2004年に出した第2版のまえがきでは、企業倒産は件数においても負債総額においても未曾有の数字となって不況の深刻さが 伝えられた90年代、こうした企業淘汰の結果が、いわゆる勝ち組、負け組といわれるようになったこと、そして両者の二分を決定付けたのは知的財産 の有無だろうということを主張した。「知」の付加されないコモディティ化した商品は価格競争に巻き込まれ、あるいはシェアを奪われて市場からの退場となる。 一方、高度な「知」あるいは権利保護された「知」は企業に一人勝ちということも可能にする。
2002年には知的財産戦略大綱が発表され、さらに2004年には知的財産基本法が施行された。着実に競争力をつけてきた近隣諸国にたいし、 相対的国際競争力の低下が危惧される状況下で、最後の切り札が「知」だったのである。他の資源と違って、知は無尽蔵である。知的財産の重要性が 改めて認識され、知財立国が基本方針となったわけである。
以上の「超パテント戦略」における考えをベースに、これをさらに発展させ、とりわけ企業や社会のアセットのインタンジブルな面(知的資産−無形資産) に光をあてて、インベンションやパテントを含む知的財産、知的財産権といった無形資産を対象とした、開発、ハンドリング、 展開等の仕方を通じて得た私なりの考えやパテントの根底にあるフィロソフィから敷衍したパテント・シンキングあるいはインベンション・シンキングの実践を通して、 新しいイノベーションを行うことが人類の発展や平和・幸福に役立つのではないかとの考えを個人の生活や企業活動の種々の面に渡って、 柳野流パテント・シンキングを展開していきたいと思う。