柳野隆生 > ノスクマードベンチャー塾 > 塾活動記録 2011年 第5回(6月)のテーマ
「くちなしの花」 〜ある戦歿学生の手記〜
「くちなしの花」〜ある戦歿学生の手記〜
『俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人・・・・・・』
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人・・・・・・』
「くちなしの花」は、太平洋戦争末期の昭和20年4月、金華山沖で戦死した海軍飛行予備中尉宅島徳光の遺稿である。激しい飛行訓練の合間をぬって綴られたこの手記は、25才にも満たない若者が書いたとは思えぬほど、冷然と時代を見据え、日本や他国の行く末を諦観し、自らの信念と心情を記したものである。タイトルである「くちなしの花」は、徳光の好きな花であり、彼が入隊後に病死した母の好きな花であった。また戦争末期の当時、口に出していえない(くちなし)の心の記録という意味も含まれているという。
冒頭の句は、その中で徳光が恋人・八重子への想いを綴った一節である。おそらく戦死するであろう自身の運命ゆえに、八重子の将来を思いやり愛を断念せざるをえなかった徳光は、日記に心を託して八重子への思いを残すより他はなかった。 |
『俺は君を愛した。そして、今も愛している。しかし、俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った。それは、君のように優しい乙女の住む国のことである。俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔も良く見えない遠くから、俺達に頭を下げてくれる子供達のいじらしさに、強く胸を打たれたのである。もしそれが、君に対する愛よりもはるかに強いものというなら、君は怒るだろうか。否々、決して君は怒らないだろう。そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。本当にあのような可愛い子等のためなら、生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けて行かねば、生きて行けないことも、君には解るだろう。俺の心にあるこの宝を持って、俺は死にたい。何故ならば、一番それが俺にとって好ましいことであるからだ。俺は確信する。俺達にとって、死は疑いもなく確実な身近な事実である。俺の生命は、世界の動きに続いている。
俺はどのような社会も、人意を以って動かすことのできる、流動体として考えてきた。
しかし、そうではなさそうである。ことにこの国では、社会の変化は、むしろ、宿命感によって支配されている、不自由な制約の下にあるらしい。
俺も――― 平凡な大衆の一人たる俺も、当然その制約下に従わなければならない。』
『俺がなぜ君を離れたか、君は俺を恨むことだろう。しかし、俺の小さなヒューマニズムが、君の将来の幸福を見捨てさせようとはしなかった。君は、俺があのようにして離れることで、きっと幸福な日を設け得るに違いない。俺はその日の幸福を祈っている。本当に幸福な日を迎えてくれ。
再びいう。俺達は冷酷な一つの意思に支配されて、運命の彼岸へ到着する日を待たねばならない。俺はそして最後の誇りを失わない。実に燃え上る情熱と希望と夢とを最後まで失わない。俺は理解されなかったかも知れない。父がいったように、俺は変人だったかも知れない。ただ俺が君やみんなに対して示した、優しさのみしかもたぬ奴だと考えないでくれ。俺のただ一つの理想に対して、俺の心は不断に燃えていることを記憶してくれ。
唯一の理想 ――― それは自由に対するものである。』
自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けて行かねば、生きて行けないことも、君には解るだろう。俺の心にあるこの宝を持って、俺は死にたい。何故ならば、一番それが俺にとって好ましいことであるからだ。俺は確信する。俺達にとって、死は疑いもなく確実な身近な事実である。俺の生命は、世界の動きに続いている。
俺はどのような社会も、人意を以って動かすことのできる、流動体として考えてきた。
しかし、そうではなさそうである。ことにこの国では、社会の変化は、むしろ、宿命感によって支配されている、不自由な制約の下にあるらしい。
俺も――― 平凡な大衆の一人たる俺も、当然その制約下に従わなければならない。』
『俺がなぜ君を離れたか、君は俺を恨むことだろう。しかし、俺の小さなヒューマニズムが、君の将来の幸福を見捨てさせようとはしなかった。君は、俺があのようにして離れることで、きっと幸福な日を設け得るに違いない。俺はその日の幸福を祈っている。本当に幸福な日を迎えてくれ。
再びいう。俺達は冷酷な一つの意思に支配されて、運命の彼岸へ到着する日を待たねばならない。俺はそして最後の誇りを失わない。実に燃え上る情熱と希望と夢とを最後まで失わない。俺は理解されなかったかも知れない。父がいったように、俺は変人だったかも知れない。ただ俺が君やみんなに対して示した、優しさのみしかもたぬ奴だと考えないでくれ。俺のただ一つの理想に対して、俺の心は不断に燃えていることを記憶してくれ。
唯一の理想 ――― それは自由に対するものである。』
日本の戦局の不利を早くから予見していた徳光は、決して盲目的な愛国心から戦争に身を捧げたのではない。彼は、彼の愛する家族や恋人、日本の子供達が、将来平和で幸福な日を迎えるために、僅かでも用を成すならばという思いで、自らの生命をかける覚悟を決めたのである。 彼は元来、自由と浪漫主義を求める感性豊かな、しかし強い自我を持った人間であり、その精神は、彼の慶応義塾大学時代の日記からも見てとれる。 |
『日本ほど安価な感傷主義者の多い国はないだろう。
それはまた、為政者にとって好都合でもあるが。愛国故に自己を犠牲にしても惜しまぬという愚衆の考え方は、一種の自己陶酔のマニアとしか思われない。
私は結果論的に、かつ端的に言えば、人は自己の幸福の追求の為に生れてきた者であることを信ずる。東でも西でも何処へ行っても、あるものは自己でなくてはならない。
・・・・中略・・・・
私は生れる世紀を誤った。私のもつすべての主義、傾向は今全く排除されんとしている。
自由主義の下にこそ文化は繁栄し得るのであって、全体主義の下では文化はそれと同じく単一化されてしまう。』
それはまた、為政者にとって好都合でもあるが。愛国故に自己を犠牲にしても惜しまぬという愚衆の考え方は、一種の自己陶酔のマニアとしか思われない。
私は結果論的に、かつ端的に言えば、人は自己の幸福の追求の為に生れてきた者であることを信ずる。東でも西でも何処へ行っても、あるものは自己でなくてはならない。
・・・・中略・・・・
私は生れる世紀を誤った。私のもつすべての主義、傾向は今全く排除されんとしている。
自由主義の下にこそ文化は繁栄し得るのであって、全体主義の下では文化はそれと同じく単一化されてしまう。』
徳光はまた、日記や入隊後の家族への書簡の中で、彼の「母」についてくり返し書き記している。大学時代から故郷をはなれ、一緒に過ごせた時間が短いことが、さらに彼の中の「母」の存在を大きくしたのかもしれない。働き者であった母へ思いや、母の病気を気遣う言葉、また彼の弟達に対する真情溢れる優しい言葉が綴られている。 当時の軍隊の生活は、厳しい訓練のみならず、理不尽な暴力、壮絶なリンチが横行し、我々の想像以上に劣悪な環境であったと思われる。その中で、彼の日記にはそのようなことに対する不平や批判、憤怒などが一切書かれていない。苛酷な環境の下、冷静に世の中を分析し考察する目線を失うことなく、家族や恋人を思いやる心の温かさを持ち続けた彼は、驚くべき強靭な精神を持っていたといえる。 |
およそ60年前のこのような事実を、多くの日本人は忘れてしまっている。しかし、英知というものは歴史の積み重ねの中にある。「俺にとってもっとも苦痛なのは、子供の将来である」という徳光の言葉―――彼に恥じぬ日本を、我々はつくってきたといえるだろうか?人間として、しっかりとした世界観をもち、自分自身の信念をもって生きること、その生き方を見せることが、我々が次の世代を育てる上で、なによりも重要である。
幸いにも、今の我々には自由がある。自身の心持ひとつで、未来を切り開くことができるのである。
最後に、当塾生の北條様が書かれた本書籍の感想文を掲載させて頂きます。
戦後以降の生まれの日本人では知識としては知っていても経験としては知らない戦争。
今日では想像をすることしかできず、実際はそれ以上に厳しかったであろう時代にこれだけの感性をもって記されたものがあることに驚きを感じます。自身についての洞察はもとより時代の流れ、日本の行く末についての洞察がなされている。特に一介の訓練兵である宅嶋徳光氏がすでに自分が戦火に散ることだけでなく国が勝てないことを感じておりドイツの敗戦および日本がロシア、アメリカ、オーストラリア、イギリスに包囲され敗戦するであろうことを予見していることは驚嘆に値します。このような視野と覚悟をもちつつ盲目的な愛国心にて戦争に向かうのではなく自分の手の届く範囲の親友、家族、恋人のためにと自分の心を納得させて現実と向き合っている。しかしこの手記でははっきりと語られることはないが自分の大切な人のために自分を納得させつつもどこかで行きたくないという気持ちが揺れ動いていたのではないかと感じられます。もう戻るべくもないがもし元の暮らしに戻れたら。母についての話しがよく出てくるのはそんな心の現れではないかと思いました。
時代、環境が人を育てることが確かならこの時代には彼のような感性豊かで目先だけにとらわれない人が多くいたに違いないことでしょう。今更ながら現代は物質には富んでいるが精神的には貧しいとよく言われます。たしかに本当の意味で切羽詰まることが少ないこの時代は、日常の流れに盲目的に甘えてしまいそれにすら気づかずに過ごしてしまうのでしょう。とはいえありがたいことに先の時代と違い今は、自分の心持ち一つで多くのことを学んだり活かしたりする自由があります。自由であるが故に自身の器量が試される時代でもあるかと。ドラッカー曰く「機会は見つけるものであって、向こうからやってくるものではない」と。日頃からの準備をしているものだけがチャンスを掴むことができるのだから充実した今を生きていけるようにしたいものです。
くちなしの花の中で「俺の言葉に・・・」の下りは一番の印象が残るところですが、もう一ヵ所、P132に記された言葉が印象に残りました。「私の最も嫌な事は私に対する他人の批評である。人は他人を批評する場合単なる人の批評に止まるものではなく、その反面において必ず自己の優越を主張しているのである。」の部分です。先の言葉では心を奮わせられました。後の言葉は、自分に対する戒めを学ぶことができました。このような本に出会えたことに感謝して終わりにします。
今日では想像をすることしかできず、実際はそれ以上に厳しかったであろう時代にこれだけの感性をもって記されたものがあることに驚きを感じます。自身についての洞察はもとより時代の流れ、日本の行く末についての洞察がなされている。特に一介の訓練兵である宅嶋徳光氏がすでに自分が戦火に散ることだけでなく国が勝てないことを感じておりドイツの敗戦および日本がロシア、アメリカ、オーストラリア、イギリスに包囲され敗戦するであろうことを予見していることは驚嘆に値します。このような視野と覚悟をもちつつ盲目的な愛国心にて戦争に向かうのではなく自分の手の届く範囲の親友、家族、恋人のためにと自分の心を納得させて現実と向き合っている。しかしこの手記でははっきりと語られることはないが自分の大切な人のために自分を納得させつつもどこかで行きたくないという気持ちが揺れ動いていたのではないかと感じられます。もう戻るべくもないがもし元の暮らしに戻れたら。母についての話しがよく出てくるのはそんな心の現れではないかと思いました。
時代、環境が人を育てることが確かならこの時代には彼のような感性豊かで目先だけにとらわれない人が多くいたに違いないことでしょう。今更ながら現代は物質には富んでいるが精神的には貧しいとよく言われます。たしかに本当の意味で切羽詰まることが少ないこの時代は、日常の流れに盲目的に甘えてしまいそれにすら気づかずに過ごしてしまうのでしょう。とはいえありがたいことに先の時代と違い今は、自分の心持ち一つで多くのことを学んだり活かしたりする自由があります。自由であるが故に自身の器量が試される時代でもあるかと。ドラッカー曰く「機会は見つけるものであって、向こうからやってくるものではない」と。日頃からの準備をしているものだけがチャンスを掴むことができるのだから充実した今を生きていけるようにしたいものです。
くちなしの花の中で「俺の言葉に・・・」の下りは一番の印象が残るところですが、もう一ヵ所、P132に記された言葉が印象に残りました。「私の最も嫌な事は私に対する他人の批評である。人は他人を批評する場合単なる人の批評に止まるものではなく、その反面において必ず自己の優越を主張しているのである。」の部分です。先の言葉では心を奮わせられました。後の言葉は、自分に対する戒めを学ぶことができました。このような本に出会えたことに感謝して終わりにします。
・使用参考文献 「くちなしの花 ―― ある戦歿学生の手記」宅嶋徳光(光人社)
次回の柳野塾の活動記録は8月頃アップ予定です。